【阪神】岩田稔投手の今。私生活は?年俸は?まさかの糖尿病!?

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今回は、阪神タイガースで先発ローテとして活躍中の岩田稔選手について迫っていきたいと思います!

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今や阪神の安定ローテの一角!岩田選手について

プロフィール

国籍:日本
出身地:大阪府守口市
生年月日:1983年10月31日
身長:179 cm
体重:94 kg

投球/打席:左投/左打
ポジション:投手
プロ入り:2005年 希望入団枠
初出場:2006年10月14日

 

今年で33歳ということで、安定ローテの一角として着実に定着してますね。

年齢的にも藤浪選手のようなルーキーに比べれば安心感を抱くのは筆者だけでしょうか?

ちなみに、藤浪選手についてはこちらに詳しく書かせていただいてますので、是非ご閲覧ください!

 

人物像

守口市立庭窪中学校から大阪桐蔭高校に進学。
高校2年秋からエースとなり秋季大阪府大会で準優勝して近畿大会でも8強入りした。
3年時にもエースナンバーを背負っていたが、腰の故障により夏の大阪府大会での登板機会はなかった。
高校の同期には中村剛也、1年後輩には後にプロでもチームメイトとなる西岡剛がいた。

関西大学に推薦入試で進学。大学進学後も故障に悩まされたため、関西学生野球リーグ戦の通算成績は6勝10敗にとどまった。
しかし、最速151km/hの速球や縦に割れるカーブを軸に、カット・ファスト・ボールやチェンジアップなどの多彩な変化球を投じるスタイルを大学の先輩でもあり当時阪神タイガーススカウトだった山口高志が評価。
2005年のプロ野球大学・社会人ドラフト会議で、希望枠によって阪神への入団に至った。

当時の背番号は21。(WBCの時のみ、19を付けています)
入団会見では、大学・阪神の先輩投手であった村山実を目標に挙げるとともに、「(背番号が村山の11より10多い21であることから)『10倍頑張れ』ということだと思います」と語った。

阪神へ入団してからは、こどもの日に登板した一軍公式戦で、2015年までに3連勝を記録している。

 

高校時代、大学時代共に成績的には振るわなかったものの、スカウトに目をかけられて入団した形になりますね

しかし、こどもの日に3連勝というのは、これは普通にジンクスでは?とは勘ぐってしまいますが…どうなんでしょうね?(笑)

 

 

岩田選手の私生活

生活と密接にかかわる収入について。年俸は?

2017年 5300万円
2016年 6800万円
2015年 6000万円
2014年 4600万円
2013年 5800万円
2012年 5500万円
2011年 3000万円
2010年 3800万円
2009年 4000万円
2008年 1400万円
2007年 1500万円
2006年 1500万円

 

年俸は上下行ったり来たりして、だいたい今は5000万台くらいで推移しているようです。

安定ローテの投手とはいえど、調子には大きく左右されますからね…

ある程度の上下は仕方ないでしょう。

 

 

岩田選手の家庭は?

岩田選手はプロ入り2年目の2007年に中学時代の同級生で美佳さんという一般女性と結婚されています。
一般女性ということで画像等は公開されていませんでしたが、同級生との結婚は好感度も高いですね。

岩田選手は大阪出身でチームも関西の球団なので今も嫁さんと子供さんとで大阪に住んでいそうですね。

ちなみに子供は3人おり、一男二女の五人家族だそうです。

 

5人家族ということでしたら、家庭のためにも2017年は奮起に期待したいところですね。

同級生との婚約ということで、一般ウケもよかったとのことですが…

アナウンサーとか美女処が大量にいただろうに、美佳さんを選んだということは、美人さんなんでしょうか?(笑)

ちなみに画像を探してみましたが、似た名前のプロレスラーの方の画像しか出てこなかったです…

 

 

岩田選手の闘病生活

ウイルス性の糖尿病との闘病の日々と活動

大阪桐蔭において高校2年秋からエースとなり、秋季大阪府大会で準優勝して近畿大会でも8強入りしたが、同年の冬に風邪を引いた際のウイルス感染が元で1型糖尿病を発症。

1型糖尿病のため1日4回のインスリン注射は欠かせないが、アマチュア時代に糖尿病を発症しつつもプロで活躍したビル・ガリクソンや、8歳で1型糖尿病を発症しながらエアロビックの世界チャンピオンになった大村詠一に勇気づけられたことから「自分が頑張ることで、同じように糖尿病と戦っている人たちを勇気づけていきたい」と話している。
2013年には、糖尿病患者に対する慈善活動が評価されたことによって、阪神球団から若林忠志賞を授与されている。

1軍に定着した2012年からは、自身が登板した1軍の公式戦で1勝するたびに、10万円を糖尿病研究のために寄付。
シーズンを終えるたびに、1シーズン分の総額に相当する寄付金を、NPO法人の日本IDDMネットワークへ贈呈している。
また、糖尿病を患う少年たちを激励する目的で、彼らを阪神甲子園球場での野球観戦と交流会に招待している。

2016年の公式戦開幕日(3月25日)には、自身初の著書『やらな、しゃーない! 1型糖尿病と不屈の左腕』をKADOKAWAから発売した。
1型糖尿病を発症してからの半生を綴った自叙伝で、印税を全額日本IDDMネットワークへ寄付する予定。

岩田によれば、祈祷師を自称する男性が1型糖尿病の男児に対する殺人の疑いで逮捕された栃木県内の事件(2015年)に関する報道へ接したことをきっかけに、1型糖尿病の認知活動の一環として執筆に至ったという。

 

まさかのウイルス性の糖尿病とのことですが、そんな病にも負けず、日々野球に邁進する姿を見て、糖尿病のファンの方々も元気づけられているのではないでしょうか?

これからも病に負けずに頑張ってほしいものです!

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子どもたちの「希望の星」に。1型糖尿病の阪神・岩田がマウンドに立ち続ける理由

糖尿病に「1型」と「2型」があるのをご存じだろうか。
生活習慣病としてよく知られているものは、2型を指す。

一方、1型糖尿病は生活習慣とは関係なく罹患し、何が原因かも根本的にはわかっていない。
2型に比べて発症率も低く、知られていないがゆえに誤解されることも多い。
その1型糖尿病を患いながら、プロ野球選手として活躍するのが阪神タイガースの岩田稔投手だ。
高校2年生で発症してから17年。岩田投手はどのように病気と向き合ってきたのか。

「不摂生してたんちゃう?」根強い誤解

降板直後は、ふらふらになることがある。
体がだるく、めまいを起こすこともしばしばだ。阪神の左腕・岩田稔は、何でもないことのように言う。
「この前の試合もそうでしたけど、気持ちが入り過ぎると、血糖値が上がり過ぎてしまうんですよ」
正常な人であれば、暴飲暴食をした後でも血糖値は140 mg/dL程度だ。しかし、岩田は300近くまではね上がってしまうことがある。
「試合が終わって、ホッとした後に、ガクンと下がったりするんです」
1型糖尿病――。
岩田は、こう呼ばれる病を背負いながら、プロ野球のマウンドに立ち続けている。

成人の生活習慣病といわれる、いわゆる「糖尿病」は、正確には「2型糖尿病」と呼ばれ、1型糖尿病とは区別される。
インスリンは血糖値を下げる働きをするが、体質や生活習慣によってインスリンの働きが弱くなる2型糖尿病に対し、1型糖尿病は、免疫機能の異常などによってインスリンを分泌する細胞そのものが破壊されてしまう症状である。
そのため、1型糖尿病にかかると生涯、注射器による毎日のインスリン投与が欠かせなくなることが多い。

岩田の主治医、竹川内科クリニックの竹川潔は説明する。
「ウイルス感染などによって1型糖尿病にかかると、免疫機能に異常をきたし、体に必要なものまで攻撃してしまう。結果的に、膵臓の中でインスリンをつくるβ細胞がやられてしまうんです。ですから、インスリンを打たなければならないわけです」
2型糖尿病に比べると1型糖尿病は「糖尿病の患者さんの約5パーセント」(竹川医師)と少数派で、十分に広く認識されていない。
そのため「糖尿病」と言うと、生活習慣病である2型糖尿病だと思われることが多く、岩田も、しばしば誤解を受けてきた。

「今でも言われますよ。『不摂生しとったんちゃう?』みたいな。そんなことぜんぜんないのに」
――人知れぬ苦労があるわけですね。
「ちょいちょい、ありますね。ふわはっはっはっ」
岩田は腹の底から笑う。それは周囲の人の下手な同情が入り込まないよう、バリアを張っているようでもあった。

岩田が1型糖尿病を発症したのは、高校2年生の冬だった。全国優勝の経験もある強豪校・大阪桐蔭で、岩田は、野球漬けの生活を送っていた。
年末年始の休みを利用して、岩田は、両親と兄と、家族4人で和歌山へ家族旅行をした。その道中、激しい疲労感と、異常なほどの喉の渇きを覚えた。
「風邪かと思ってたんで、スポーツドリンクとかコーラを飲んでいた。とにかく、しんどかったんで病院に行ったら、1型糖尿病だと言われて。即入院でしたね。血糖値が800近くまで上がっていたそうで」
当時、診察にあたった竹川が振り返る。
「もうちょっと、何もせんかったら意識がなくなって、生命にもかかわり得る状態でした」
耳慣れない病名を聞き、岩田の脳裏を真っ先によぎったのは、「もう野球、できひんのやろな……」という絶望感だった。

岩田が使用しているインスリン注射には、朝と睡眠時の2回打つ「持効型」と、朝昼晩の食事の前に打つ「超速効型」の2種類がある。
つまり毎日、最低でも5回は注射を打たなければならない。

注射はどこに打つのかと問うと、岩田はユニホームをたくし上げ、両手で、右の脇腹をつまんだ。
「ここも何度も打ってるんで、しこりみたいになってる。硬くなってしまったんです。そうすると効き目が薄くなる。だから、本当は硬くなっているところを避けてやわらかいところに打ったり、場合によってはお尻とか足とかに打ったほうがいいらしいんですけど、つい慣れてるところに打ってしまう」

病気と付き合い始めて、もう17年目になる。

1型糖尿病にかかり、最大の挫折は、高校3年生のときだった。社会人野球の強豪でもある地元大阪の大企業に内々定をもらっていた。
しかし病気を理由に突然、取り消された。
「(監督に聞くところによれば)糖尿病はいらん、みたいな言い方をされたみたいですね」
そのときの心境を、最大限、ジョークを装って言う。

「まじ、クソやな、この会社と」

岩田は関西の名門・関西大学に進学することになった。「大学卒業するときは、絶対もっとエエとこ、就職したろうと思いましたね」
そして4年後、球界随一の人気を誇る阪神タイガースに入団した。

確かに1型糖尿病は血糖値のコントロールさえきちんとできれば問題はない。
ただ、それを誤ると、大変なことになる。阪神入団後、岩田にも苦い経験がある。
2010年秋、高知県・安芸で、翌日にキャンプ・インを控え、同僚4人と食事に出かけた。食べる前にいつもと同じ量のインスリン注射を打った。

しかし、体重を落としていた時期だったため、炭水化物を控え、野菜ばかり食べていた。しかも、その日のメニューは鍋料理で、締めのご飯が出てくるまでに時間がかかった。そのため、十分な糖分をとる前にインスリンが効き始め、血糖値が急降下。明らかに変調をきたした岩田は部屋に戻るなり意識を失い、救急車を呼ぶ騒ぎとなった。

「酒を一滴も飲んでないのに、めっちゃハイテンションになってきて。挙げ句、普段はそんなこと絶対しないのに、後輩に説教したりしてたらしいです……。頭、ぶっ飛んでたんでしょうね。いろんな人からお叱りを受けました。ぬわはっはっはっ!」

竹川は「インスリンの管理には『量(単位)』と『タイミング』をコントロールすることが肝要」だという。
岩田の場合、周囲の人間が岩田の病気のことを知っていたため事なきを得たが、一歩間違えれば、大変な事態になりかねないミスだった。

1型糖尿病は、アスリートにとって、致命傷にはならない。
ただ、病気にかからないに越したことはないだろう。

それでも、岩田はこう話す。

「1型になってなかったら、プロ野球の世界に入ってこれなかったんじゃないかな。内定を取り消されて、見返してやろうと思ったから、がんばれた。病気のおかげかなと思います。僕と1型は切っても切れない関係ですね」

高校2年生時の岩田にとってガリクソンがそうだったように、今や、岩田は1型糖尿病患者の「希望の星」だ。
そのことを、あえて口にはしないが、十分に自覚している。
年に2回、10組20人の患者とその家族を甲子園球場に招待し、オフには、全国のそうした人たちの集まりに顔を出す。

 

こうした声が、糖尿病の患者さんの希望になることを、切に祈ってます。

 

 

はいというわけで今回は、阪神タイガースの岩田稔選手について迫ってみました!

1型糖尿病との闘病を続けながらの生活はつらいと思いますがそれでも岩田選手のマウンドでの雄姿をできる限り長く見続けたいものですね。

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About もるがん斉藤 78 Articles
割と音楽とかが好きです。 よかったら記事見てください! よろしくお願いします!

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